2006年03月31日

『ウィズネイルと僕』の序文



『Withnail and I』の脚本は、1996年に出版されたが、ブルース・ロビンソンが序文をつけている。この文章がとても感動的だと思うので、ちょっと翻訳してみた。文章の中でも時間が飛びまくっているので、上手く訳せていないのだけれども、そこはご容赦を。
原文は、Criterion版のDVDのリーフレット、あるいはCriterion社のホームページの『Withnail and I』紹介ページにも転載されている。
ここで読めます。

ちなみにウィズネイルのモデルとなったVivianは、1995年に喉頭癌で亡くなったそうです。




私が『ウィズネイルと僕』について何かを書くのは、まず間違いなくこれが最後の機会になるだろう。万が一、この文章があまり良くない出来だった場合に備えて、先に結論を言っておこう。私はこの新しいエディションの『ウィズネイルと僕』を、友達のVivianに捧げたい。

1966年から1976年ごろまで、私は日記をつけていて、どのページもVivianと私についてで埋め尽くされていた。私が彼と出会ったのは1964年、ドラマスクールの初年度のことだ。彼は青いスーツを着てサングラスを掛けていて、マーロン・ブランドみたいに見えた。誰もが、彼はスターになると考えたものだ。出会って10分で、私は彼の一番親しい友達になったし、それは他の全員も同じだった。誰もがVivを愛していた。
彼は悪い役者ではなかった(セントラル・スクールを出た時、彼は何の仕事も取れなかったけれども)。悪いライターでもなかった(彼が何かを書いていたところなんて、私は殆ど思い出せないけれども)。実際のところ、彼がもし演技をしていたら、あるいは書いていたら、彼はどちらについても大して優れていなかっただろう、だって、彼の興味はそこになかったのだ。
Vivianが際立っていたのは、Vivianでいることだった。それが彼の天才で、彼と出会った誰もがそのことに圧倒された。彼のニックネームは“とげ(spine)”と“犯罪(crime)”だった。私はそれが何に由来しているのか知らないけれども、彼のパブで丸一日を過ごす能力、そして彼が酒を買う順番を慎重に避けるやり方をその名前は上手く描写していた。「犯罪は支払わないものさ」でも、私たちの中の誰も、そんなことは気にしなかった。何故なら、彼に付き合うことは、酒の値段に見合うものだったからだ。
Vivはキーツやボードレールといった文学に熱中し、この詩人達への興味を私にも抱かせた。そして、私が今までに読んだ中で最も変な本である、偉大なる『さかしま』(ユイスマンス作)にも。これは、Marwoodが映画の最後に彼のスーツケースへ入れる二冊の本のうちの一冊だ。

『ウィズネイルと僕』の中に、Vivの台詞はないけれども、彼の身の毛のよだつようなワインの染み付いた舌が、映画の中の全ての言葉を喋っていたかもしれない。Vivがいなければ、この物語は決して書かれることがなかっただろう。
そして、私がやらなくてはいけなかったことといえば、その理由を探す為に、黄色くなったセロテープでヒナギクの貼り付けられた、この古い日記を見返すことだけだった。Vivianと私は、この映画という奇妙な考えが私の頭に沸き起こるずっと前に、『ウィズネイルと僕』を生きていた。だから、私はキッチン・テーブルに座って、やってみて、書きとめなくてはならなかったのだ。

1975年4月16日。二年の間Vを見ていなかった。彼の容貌は衰えたけれども、習慣は変わっていなかった。朝食の前のスコッチ・ウィスキー。彼は朝食を食べない。Vivianは酒を呑むことで自分を死に追いやっていた。
彼は言った、「もし神がいるなら、どうしてケツの穴はキックを入れるのに完璧な高さにあるんだ?」そこで私は「君に同意しなくちゃならないな」と、答えた。
過去を振り返って、二日酔いにどっぷりと浸ろう。私はこれまでに経験した二日酔いの分量を信じることが出来ない。

1969年11月16日。ベッドに二日間いる。Vivが他の部屋で唸っているのが聞こえる。これは全く信じられない。まるで聖書みたいだ。
私は単純に、その飲んだ量が信じられない。実際のところ、全ての日記の記述は二日酔いの描写で始まり、その全部が違っているのだ。ちょうど、エスキモーが雪を描写する20の方法を持っているように。この二日酔いはジンとレツィーナワインで、4日と半日の間続いた。まるで痛みを描写する異なる方法を私が探していたとでも言うように、その記述は日記の1ページ半に渡り、形容詞がそこら中に散らばっている。
Vivianの意見によれば、二日酔いに対処する唯一の方法は、二日酔いに至る道を飲みほすことだ。ジーザス、私は君が奴らを飲みほしたことを覚えているよ。私は君が猛烈な議論の真っ最中に、ライターの燃料を飲んだことを覚えている。だけど、私は自分が保守党のメンバーだったことを忘れていた。

1970年1月16日。Vが戻ってきて、僕らは保守党に入らなくちゃいけないと言った。「何のために?」私は言った。「何故なら、奴らは君にシェリーをくれるからさ」(明らかに、彼はBill Twococksとかいう会計士に会ったらしく、そいつが彼の考えを保証したらしかった)
その夜、私たちはスーツを着て、Primrose Hillを歩いて行った。保守党は地下にあって、6人の女性とマクミランの写真から成り立っていた。滑稽なアクセントで話す中古のサーブに乗った馬鹿が、私たちに票集めをさせたがった。私たちはやるといったけれども、シェリーは手に入らなかったから、彼らのくそったれリーフレットを生垣から投げ捨てた。

1969年4月30日。Vivianと私はスーツを着てサザビーズ(オークション)へワインを飲みに出かけていった。この時、私たちは中に入らなかった。緑の帽子をかぶった男が、私たちの入場を阻んだのだ。「僕らはワインを味わいに来たんだけど」私たちは言った。「お前たち二人のくそったれ(cunts)は、他をほっつき歩くことが出来るだろうさ」と彼は言った。明らかに彼は前回のことを覚えていて、この放逐は私達をガッカリさせた。サザビーズは、素晴らしいワインを飲ませてくれ、ケツの穴から完全に開放してくれる、町で一番のショーだったからだ。

その夜、私たちはリージェントパークに行って狼たちを見た。私たちが何度公園に行って狼たちを眺めたか、数えることが出来ない。そして、私はVivianが死んだことを信じられない。彼は喉頭癌になって、それは彼の声を引き裂いた。
これまで出会った中で最高の臆病者だといつも考えていたやつは、私が知る中で最も勇敢なバスタードに変貌した。君が死にかけている時に、笑うのは大変なことだったろう、だけど私は君がいつも笑っていたことを覚えている。あのみじめで、素晴らしくて、苦い、君の笑い顔だ。さよなら、私の最愛の友達。この映画は永遠に君のものだ。
もし天国にパブがあるなら、君はその中にいるだろうってことを私は知っている。そして、キーツは君に酒を奢ってやるだろう。


posted by heathertop at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Translation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/15569989

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。