2006年01月30日

Mini biography

1946年5月1日生まれ。イギリスのケント州出身。

18歳で、ロンドンのCentral School of Speech and Dramaに入学。2年で卒業した後、すぐにフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』(1968)にキャスティングされて、ローマへ。が、そこでの経験から俳優になる意欲を失う。

その後、脚本家を目指して執筆活動を続けていたところ、プロデューサーのデイヴィッド・パットナムの目に留まる。幾つかの試行錯誤の末、『キリング・フィールド』(1984)がパットナムに採用され、映画化される。この初脚本作品で、ロビンソンはアカデミーの脚色賞にノミネートされる。(が、惜しくも逃す。ちなみにこの年の受賞作は『アマデウス』)

この成功を足がかりとして、自分自身の経験を小説化した『ウィズネイルと僕』(1987)を自分自身で映画化するチャンスを掴む。これが商業的には成功しなかったものの、カルトクラシックとして評判を取る。
ところが、その後の監督作品である『広告業界で成功する方法』(1989)『ジェニファー8』(1992)は、いずれも諸々の事情により思うような作品に仕上がらず、ロビンソンは監督業から身を引いてしまう。

映画業界から離れた隠遁生活の間に、ロビンソンは初めての小説を執筆する。この「The Peculiar Memories of Thomas Penman」が、批評家の間で高い評判を獲得。
本人も家にこもりきりの生活に飽きたらしく、1998年に『スティル・クレイジー』で約20年ぶりに俳優として復帰してみたりする。
その後はロンドンの切り裂きジャックを題材としたノンフィクションを執筆していたものの、出版前に再び監督業のオファーがやってくる。ジョニー・デップからのラブコールを受けて、ハンター・S・トンプソン原作『The Rum Diary』の脚本と監督を了承。
現在はPre-productionの段階にあるということなので、おそらくは脚本執筆の真っ最中と思われる。

ただし、アップダウンの激しいこれまでの人生航路を省みるに、これが『ジェニファー8』以来の14年ぶりの監督作になるかどうかは、いまだ未定。


家族構成は、奥さんのソフィー(絵本作家)、娘さんのリリー・インディラ(87年生)、息子さんのウィロビー君(94年生)の4人家族。現在はウェールズのヘリフォードシャーで暮らしている。
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posted by heathertop at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | Profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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